最高裁判所第一小法廷 昭和37年(オ)1014号 判決 1963年11月21日
上告人(控訴人)
西村義久
被上告人(被控訴人)
大阪府教育委員会
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人弁護士一木正光、同田上義智の上告理由第二点について。
上告人の所属していた大阪府泉北郡忠岡町立中学校、校長河内山英雄及び被上告人大阪府教育委員会は、上告人の勤務成績不良及び指導能力貧困等の理由により、泉北郡内中学校はもとより、隣接郡市においても上告人を受入れるところはないなどを理由に退職を勧告したところ、上告人は他に適当な就職口を見付けるまで他に講師として任用されることを条件に、当時の退職臨時措置による一、八倍の退職金の支給及び二号俸増俸し、依願免の取扱をされたき旨申出で、当事者間にその諒解が成立したこと、結局上告人は右河内山らの勧告が已むを得ない事由に基づくものであることを諒解して退職願を提出し、東陶器村立中学校講師に任用されることも承諾したものであつて、上告人の退職申出が前示河内山校長や教育委員会の強迫行為に因るものであることは、容易に措信し難い。第一審における上告人の供述を除いてこれを是認するに由ない旨の原判決(並びにその引用の第一審判決)の事実上の判断は、原判決挙示の証拠に照し首肯できなくはない。所論は、ひつきようするに、原審の専権に属する証拠の取捨判断並びにこれによつてなされた原審の自由な事実認定を非難するものであつて、上告適法の理由とするに足りない。なお、所論は、叙上認定事実に反する事実を前提として、原判決に所論法令違反、憲法違反の欠点ある旨論及するが、叙上認定か右の如くである以上、右所論はこの前提を欠くに帰し、これ亦採用できない。
同第一点について。
論旨は、強いて上告人の俸給を停止して強度の強迫を加え意思の自由を奪つて転任を前提として形式的に提出させた退職願を地方公務員法二七条によつて違法でないとした原判決は同法二四条、二五条、二七条の解釈を誤り、不法に法律を適用したものだと論難する。しかし、所論のような経緯で上告人に退職願を提出させたという事実は、原判示によれば証拠不十分で認められないというのであるから(前段説示参照)、所論は、結局その前提を欠くに帰し、これ亦理由がないものと云わなければならない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八五条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
上告理由書
上告代理人田上義智、同一木正光の上告理由
第一点 原判決は地方公務員法第二十四条、第二十五条、第二十七条の解釈を誤つた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすこと明かであるから破棄すべきものである。
原審判決は「上告人に対する昭和二七年四月分の俸給の支給が一時停止せられたことは当事者間に争ないところである」と認定しながら、右は当時の取扱として、転退職の際、事務上の都合から屡々行われたものであることが認められ、右措置が上告人の退職願の提出を強要するための手段としてなされたものであるとは認めがたいとして、これに基く退職願の提出を上告人の自発的意思にもとづくものと解釈し、もつて上告人の主張を斥けた。
しかし上告人の俸給は地方公務員である中学教諭としての勤務に対する反対給付でその俸給の支給を請求する権利をもつことを基本としているが、それに加うるに地方公務員の生活を保障するものである。これは、もとより地方公共団体である大阪府が恩恵的に公務に従事する上告人の生活の資に供与するというのではなくて国民の最低限度の生活は保障されなければならないという意味で生活給の観念が重大に織込まれたものである。
それで地方公務員の俸給は単に一個人の利益のためばかりではなく、同時に公益のために定められており、私意でこれを左右することは許されないのである。
昭和九年六月三十日の大審院判例によつても「俸給請求権は官吏たる地位を有する者に対してのみ付与せられたる公法上の債権に属するを以て当該官吏に於て任意に譲渡することはその性質上之を許さざるものとす蓋し文武官吏の自由意思に基き之が任意処分を許容するに於ては遂には官吏たる地位を保持するに必要なる生活資料をも之を喪うに至るなきを保せざるは勿論公益を害するの結果を招来する虞あればなり」と判示している如く個人の放棄をも無効としている。これは国家及び公共の利益のために必要な地方公務員の独立と、公務員関係の無条件な純潔清浄を保つため且つ生活を保証する意味をもつものにほかならない。
さればかかる性質の上告人の俸給は地方公務員法第二十四条、第二十五条に則り条例に基いて必ず支給されなければならない。即ち俸給を停止して上告人の生活をただちに危殆にひんせしめ、公務員の独立を侵し純潔清浄を害するが如き行為は断じて禁ぜられていることは多言を要しない。
しかるに強いて上告人の俸給を停止して強度の強迫を加え意思の自由を奪つて転任を前提として形式的に提出せしめた退職願を同法第二十七条によつて違法でないとした原判決は同第二十四条、第二十五条、第二十七条の解釈を誤り不法に法律を適用した法令違背があるから破棄せらるべきものと確信する。
第二点 原判決はその理由にそごがあるのみならず、日本国憲法第二十二条、第二十五条に違背の違法があるから破棄せらるべきである。
原判決は、原判決挙示の各証拠および当審における証人河内山英雄、梶谷耕作の各証言を違合すれば、結局において上告人は右勧告が已むをえない事由にもとづくものであることを諒解して退職願を提出し、東陶器村立中学校講師に任用せられることを承諾したものであると判示した。
しかし第一審判決挙示の各証拠及び原審における右証人河内山英雄、梶谷耕作の各証言を総合するも、第一審において、証人上田昭は「校長は無理に辞表を書かすような人でない」と証言しているが、その河内山校長は証人として「昭和二十七年四月分の上告人の俸給の支払を停止したことがあります」と証言している如く地方公務員法に違背して俸給の支給を停止している。
更に右証人上田昭は「後日上告人から実は校長から辞表を出すように、辞表を出さねば他へ転勤させると強迫されたのだ」と証言している通り俸給の支給を停止して辞職願の提出を強要した事実は判然としている。
更に原判決は、俸給の支給が一時停止せられることは当時の取扱として、転退職の際、事務上の都合から屡々行なわれたものであることが認められると判示した。
しかしかかる俸給の支給停止は地方公務員法第二十四条、第二十五条、日本国憲法第二十五条により断じて許容されないところである。原審における証人梶谷耕作校長は転任する時には月給の支払が一時止るのかとの問に対し「そんなことは知りません」転任が予定されているだけで支払を止められることはとの問に対し「そんなことはないと思いますが、はつきりしたことは知りません」と証言している如く俸給支給の停止が許容されないことは多言を要しない。
殊に東陶器村立中学校講師に任用せられることを前提として退職願を提出したる事実もまた証拠も何等存しないのであつて右の判決は証拠に反した理由がそこにある。
上告人は地方公務員として地方公務員法第二十四条、第二十五条に則り条例に基いて俸給を支給される権利がある。そして同第二十七条第二項により第二十八条、第二十九条に規定する事由の存する場合を除きその意に反して免職されない保障を有している。
それで上告人は日本国憲法第二十五条により俸給の支給により国民として健康で文化的な最低限度の生活が保障され且つ同第二十二条により職業選択の自由があり退職するか否かの自由がある。
そこで原判決によれば上告人に対する俸給の支給が一時停止された事実を認定し、上告人は退職の勧告により相当大きな衝撃を受け、容易に説得に応じなかつたことが認められると判示しながら俸給の支給が一時停止せられたことは退職願の提出を強要するための手段としてなされたものであるとは認めがたいとした。
されど上告人は前述の通り地方公務員として俸給をうける権利があり職業選択の自由があり地方公務員法並に日本国憲法により保障されている。
しかるに原判決はこの点に関する地方公務員法の解釈を誤つた違法があり且つ日本国憲法に違背する不法がある。
よつて原判決は破棄せらるべきである。 以上